もう20年も前、ロッキーが最初に就職した会社(鳶の親方が決めてきた会社)の専務取締役から
「この歳になって身分もある程度になってくるとね、注意してくれる人が居なくなってくるんだよ。これはとても怖い事なんだよ」
と、毎週一緒に鮎の友釣りに行く車の中で、しみじみと言っていたのを聞いたことがある。
彼は決して軽はずみな行動や、場当たり的な行動をする人ではなく、慎重で思慮深い人間だったが、それでもそう考えているのだと少し驚いたのと同時に、自分に注意してくれる人が周囲に多いことに有り難さを覚えた記憶がある。
そして、注意してもらう為には、そのひとつひとつの注意を素直に聞き、理解することが必要なのだと思った。
幸い、馬鹿なロッキーは今だに注意して頂ける部分が多いため(悲)、公私に渡って注意してくれる人という貴重な存在に多く恵まれている。
もしこの貴重な存在を失ったら、自律力の乏しいロッキーは社会で生きてゆくことが出来るのか、不安になることがある。
そんな他力本願なことで良いのか情けなくもなるが、やはりロッキーは弱く小さな存在でしかなく、頂いた多くの注意を糧に生きて行くしかないのが現実でもある。
人に支えられてばかりのロッキーゆえに、その有り難みが痛いほどよくわかるのだ。
人には『恵まれる』という価値基準として、才能や財産、人種や血筋、地域や時代といったものがあると思う。
確かにその通りだが、それらは生まれるという自分の意志が関わる事が出来ないレベルでの基準だ。
それに対して『人に恵まれる』という価値は、自分の意志で方向性を決めることが出来る恵まれ方なのだ。
今、高校生になった娘がだんだん社会性を身につけ始めるのを見ていて思うのは、是非この子にも注意してくれる人がたくさん現れ、人に恵まれるようになって欲しいということ。
そして注意してもらえる人としての資質を備えるよう、育ててあげる事が大切なのだ、と切に感じている。